ポンポロン本舗

個人ゲーム開発サークル「ポンポロンゲームス」のブログです。

おはらいさん(仮) 1話 その2


 心地良い浮遊感、とまここが感じたものは、次の瞬間に強い不快感へと変わっていた。
 
 再び感じた、脳を揺らされたような目眩。
 それが、一瞬の浮遊感の正体のようだった。
 思わず頭を振りながら、あとずさる。

 しかし、まここがその場から動くことは、叶わなかった。
 女の腕は、その細さからは想像もできないほど、強固にまここを縛り付けていた。

 じっとりと濡れた手から伝わってくる感触は、ただ濡れているから、とは思えないほど冷たい。
 いっそ、氷のようとさえいえる感触が、まここの手から這い登り、背筋までも凍りつく。

「あっ……あんた……。なんだ……!?」

 意図せず、声がつまる。
 振り絞るようなまここの声で、うなだれていた女の頭が、ゆっくりと持ち上がった。
 
「……っ……あ……」

 まここは、絞り出す言葉も失った。

 闇があった。
 女の、目のあるはずの場所に、口のあるはずの場所に、闇があった。
 闇はとどまることなく、女の目口から、だらだらと流れ続けていた。
 流体の闇は女の体をつたい、地面へぼたぼたと落ち続けていた。

 女の口が、ごぽり、と音を立てて動いた。

「あだたも……」

 濁った音が、まここの耳に流れ込んでくる。
 
「あだだも……いっで……ぐでだいど……?」

 耳から流れ込んだ音は、まここの精神を溺れさせようとするように、頭の中で溢れかえった。
 濁った泥水が渦を巻き、脳をかき回すような感覚。

 混濁したまここの意識は、女の手に抵抗する力を失っていった。

「あなた……」

 ああ。この音だ。
 女の声が、清流のせせらぎに戻った。

 これなら、安心してー

「あなた……かわいいわね。そのまま……」

 ……あ?

「そのかわいい顔を、永遠にしたいでしょう?」

 その何気ない一言が、まここの憤怒に火をつけた。

「ん、なわけ……あるかぁっ!?」

 怒りに身をまかせたまま、全身の力とやる気と根性をかき集めて、まここは腕を引っこ抜いた。

「だ……っ……!」

 女の口から闇の塊が、ごぼりとはねた。
 それを驚いた様子と見て、まここはすかさずステップを踏んだ。

 後退したまここに対し、やはり驚いていたらしい。女は追うこともなく立ち尽くしていた。

「だんで……!?」
「だん……なんで、だと……ォ?」

 女の濁った泥水語にも慣れてきたまここは、その疑問に怒りを再燃させた。
 怒っているときは、怒っていると伝えるのが、まここの流儀だ。
 
 大きく吸った息に気合を乗せて、まここは一喝した。

「ばっきゃろー! オレは男だ!」


「お……おどご……?」

 それまで、不規則に揺れていた女の動きが、ぴたりと止まった。
 まここも身構えたまま、動かない。

 奇妙な沈黙を先に破ったのは、女の口から闇がほとばしる音だった。

「お……男でぼ……いい……っ!」

 いいんかい。
 思わずつっこんでしまう心の隙が、まここの命とりとなった。

 女の体が、跳ねた。
 地面を蹴って押し出された女の体は、まここの予想に反して、高く宙を舞った。
 突進にだけ注意していたまここの意識が、慌てて後退を選択したが、遅かった。

 眼の前に女が着地する。姿勢に乱れはない。追撃の姿勢。
 今、後退しても、一足で追いつかれる。

 水で浸されたように、しわの寄った女の手が、まここに向かって伸びてくる。
 捕まる。

 確信が恐怖に変わるより早く、まここは右腕を跳ね上げ、受けの動作を始める。
 多分、受け切れない。
 客観的な自分の無意識に反して、まここの意思は抵抗をやめようとしなかった。
 
 女の指が、まここの腕に触れた。
 腕を貫く冷気のような感触に、まここの表情は歪んだ。

 一瞬で、腕の力が奪われた。
 萎えた腕は受けの構えを維持できず、垂れ下がっていく。

 もう一方の腕をとろうとする女の動きに、抵抗すらできない。
 両腕を捉えられ、さらに力が抜けていく。
 崩れ落ちそうになる膝が、がくがくと震えた。

 さすがに、もうだめか。

 女の手から伝わる冷気が、まここの体を包んでいく。

 朦朧としていく意識の中、まここは、
 
 鈴の音を聞いた。

 瞬間。
 溺れかけていた意識が覚醒した。
 
 再起動した意識が、状況を認識しようと回転し始める。
 女の手は、すでに離れていた。
 さっきまで自分の腕を掴んでいたはずの女の両手は、今は女の顔を覆っていた。
 のけぞったまま、たたらを踏んで交代する女の姿を見て、まここは確信した。

「まさか……! オレの隠された力が……!?」
「違う」

 即レスでツッコんできた声に、まここは慌てて振り返った。


 
 そして、今度こそ、まここは意識を奪われた。
 おぞましさや苦しさではなく、目に写ったものの、美しさに。
 
 橋のたもとに立つ少女の姿は、つい今まで感じていた恐怖を、まここの意識から拭い去っていた。

 少女は、白い炎を纏っていた。
 燃えているのに、冷たさを感じさせる硬質な白。

 それは、その少女の瞳の色を映しているようだった。
 冷然とした、しかし決意の宿った瞳が、まここを見つめ返している。

 セーラー服の上から弓籠手を纏い、長弓を構える立ち姿。
 しなやかに背中へと伸び、炎の輝きを照り返す純白の髪。

 まここはただただ、忘我した。
 まここに語彙があれば、少女の姿を神々しいと評しただろう。

 しかし、まここは普通の明日から中学生なので、やべー、かっけー、と思った。

「早く」
「えっ?」
「早く、離れて」

 少女の口から声が発せられたことに、まず驚く。
 それがまここに対しての言葉であることに、もう一度驚く。

「あ、ああ、おう!」

 ようやく言葉の意味を飲み込んで、まここは走り出した。
 
「まっで……!」

 背中を追ってきた女の声でようやく、まここは自分の置かれた状況を思い出す。

 顔だけ振り返る。
 そして、まここは振り返ったことを後悔した。

 女の顔面は、醜く割れていた。
 割れた傷からは、闇がどくどくと垂れ、流れ、伝い続けていた。

 一層おぞましく変貌した女の手が、まここを再び捉えようと、伸びていた。

 恐怖で、足が止まりかける。
 しかし、再び聞こえた鈴の音が、恐怖を払った。

 いくつもの鈴を束ねたような、複雑で、それでいて澄んだ音色。
 
 それは、女の体で、白い炎が燃え上がる音だった。
 白い炎は一瞬で燃え上がり、流れるような軌跡を残して消えた。
 
「ああっ……あばあぁ……っ!」

 女の濁った悲鳴が撒き散らされる。
 その穢れを払うかのように、再び鈴の音が響いた。

 白い炎が女の胴体を薙ぎ、再び女にたたらを踏ませる。
 
 その原因に思い当たり、まここは少女に視線を戻す。
 まここの予想どおり、少女は弓を放ち切った姿勢で、女を鋭く見つめていた。

 驚きを整理できないまま、まここは少女に駆け寄り、肩を並べた。
 少女は一瞬だけ、まここに視線を向けたが、すぐに女へと視線を戻した。
 
 袈裟懸けに背負った矢筒から、矢を抜き、構える。
 少女の所作の全てに、まここは目を奪われていた。

 弓を引く。
 放つ。

 放たれた矢は、まここの思っていたよりもずっと速く、鋭く、夜の闇を切り裂いた。
 女の顔面で、白い炎が弾けた。
 
 仰け反ったまま、女の体が、路上に倒れた。
 顔の上でくすぶっていた炎が膨れあがり、女の体を舐めるように燃やしつくした。

「……やった?」

 思わず、まここの口からつぶやきが漏れた。
 それを聞いてか聞かずか、少女は口を開いた。

「あなた、大丈夫? まだ動ける?」
「えっ!? ああ、へーきへーき」
「……平気じゃないでしょ。それ」

 声をかけられたことに慌てるまここの腕を、少女が指差す。
 
「え……? って、なんだこりゃあ!?」

 腕まくりした、まここの腕の先から根本に向かって、黒い模様ができていた。
 黒は、女から流れ出ていた闇を思わせるように、てらてらと黒光りしていた。
 闇が手の先から染み込んで、まここの体を侵食しているようだった。

「まだ、大丈夫そう」
「いや、ダイジョブじゃないだろ、コレ!? 洗ったら落ちる!?」

 慌てて手でこすってみたが、落ちる気配はなかった。
 ムキになってこすり続けるまここを、少女が小首をかしげて見つめた。

「まあ……落ちることは落ちる」
「なんだ。じゃあ、いいか」
「えっ……?」

 あっさり納得したまここに、少女は意表を突かれたのか、鋭い目をわずかに見開いた。
 なんか、初見の印象よりもフツー、と思いつつ、まここは少女に疑問をぶつけた。

「で、あんた、なんなん?」
「それはわたしの台詞なんだけど。」
「なんで?」
「あなたこそ、なんで……」

 繋ぎかけた言葉を、少女が断ち切った。
 同時に、緩んでいた表情に、緊張が戻る。

 少女の表情を察して、まここの表情も険しいものへと戻った。

「どうした?」
「……来た」

 来た、って、なにが?
 まここが問うよりも早く、異変が訪れた。


 橋が揺れていた。
 地震の揺れ方ではない。揺れの間には、一定の間隔があった。

 なにより、揺れに伴う叩きつけるような音は、明らかに地震のものではない。
 まるで、足音のような、と感じたまここの感想は、実際に的を射ていた。

 闇の中に、大気が震える気配を感じて、まここは目を凝らした。
 さっきまで、女がいた場所の街灯の明かりが、徐々にその姿を浮かび上がらせた。
 
 巨木が伸びていた。
 橋の下からぞろり伸び上がってきたそれは、木というよりも、蔦に近かった。
 しかし、そのあまりの太さに、まここは木という言葉しか浮かばなかった。

 街灯に照らされたそれは、黒く濡れていた。
 女から流れ出ていた闇が、凝り固まって形となったようだった。

 その表面から分泌された闇は、表面を伝い、地面に滴って、ぼたぼたと音を立てていた。

 巨木が、橋の上に、ずしん、と音を立てて突き立てられる。

「なんだよ、あれ……は……」

 巨木の伸びる先を見定めようとして、まここは絶句した。
 
 ずぶずぶと、音を鳴らしてうごめく巨木の先から、塊が姿を現した。
 闇の凝ったいびつな塊が、それの本体であることは明らかだった。
 
 塊の端についた小さな塊に、小さな穴が二つ、大きな穴が一つ。
 人の顔を、悪意をもって模したような、不出来な泥細工。

 巨木が歪むたびに、その醜悪な姿は、街頭の明かりの下にさらされていった。

 本体から伸びた、巨木のように思われた足が、二本、三本と、橋の下から引きずり出されてくる。
 四本の足でその身を支えながら、塊に空いた穴が、ゆっくりと、まここ達に向けられる。

 二つの穴の奥から、塊の意識が向けられるのを感じる。
 まここは、やっぱりあれは顔なのかと、虚ろな心で得心していた。

 まここが眺める間にも、塊の全身から滲んだ闇が滴り、体の下には大きな闇溜まりを作りつつあった。

 その姿を、まここはまばたきも忘れて、見つめ続けていた。
 見つけ続ける他なかった、というべきかもしれない。

 びちゃり、びちゃりと、闇を撒き散らして現れた姿を前に、まここは恐怖の他の感情を忘れた。
 
 巨体を目にした本能的な恐怖が、足を地面に縛り付けていた。
 脳が許容する常識を超越した異様に、脳が活動を拒否していた。

 塊の足の一本が、ずるり、と持ち上がったことに、危険を覚えることすらできない。
 
 振りかぶられた足が、夜の闇を薙ぎ払う。

 まここは自分の人生の終わりを、他人事のように眺めていた。


つづく