ポンポロン本舗

個人ゲーム開発サークル「ポンポロンゲームス」のブログです。

おはらいさん(仮) 1話 part 1

オリジナル小説?の習作です。
習作ですので、ご指摘歓迎します。



「かーちゃんの……かーちゃんの、デベソ!」
「ちょっと、まここ!」

 古いアパートのドアを、壊れるぐらいに叩きつけて、まここは駆け出した。

 近所迷惑、という言葉がまここの頭をよぎった。
 しかし、お前の事情など興味がないと言わんばかりに、夜の団地はしんと静まりかえったままだった。

「くっそおぉ!」

 そのことが余計に悔しくて、まここは無茶苦茶に手足を振り回して、走った。
 街灯の明かりを縫うように、夜の住宅街を全力疾走した。
 
 薄汚れたスニーカーが、地面に叩きつけられて、ぎゅうぎゅうと悲鳴をあげた。
 今まで大事にはいてきたが、今日にかぎっては、もうぶっ壊れてしまえと思った。

 高い位置でしばった後ろ髪に、暴れ回るパーカーのフードが当たった。
 向かい風との相乗効果で、少しくせのある栗色の髪が、ぼさぼさになっていく。

 その感触が、さっき聞いたばかりの母の言葉を、いやでも思い出させた。

 あんたももう、中学生になるんだからさ。ちょっとはーー

「うるっさいんじゃああ!」

 中学生だから、なんだと言うのか。
 中学生になったら、オレはオレでいちゃだめなのか。

 オレがオレでいられないんなら……。
 オレは今夜……風になる……!

 明日から中学生になる夢野原まここは、風になるために、より強く、速く、地面を蹴った。
 そうしていれば、空を飛べる、とでもいわんばかりに、がむしゃらに。

 そして数分後には、とぼとぼと歩いていた。
 全力疾走は、そう長くは続かない。
 
 ガッと走って、ガッと熱くなって、あーっ! っとなって、気が晴れる。
 それがいつもの夢野原まここのはずだった。

 しかし、切れた息が落ち着いても、心のもやは晴れなかった。
 春の夜、まだ少し冷たい空気が肺を通るたびに、胸のあたりがしくしくと傷んだ。

 実際問題として、物理的に胸が痛かった。
 もう寝る前だからと、ブラをつけていなかったのが良くなかった。

 まここにとっては無駄としか思えない成長を続けている胸が、やたらと痛い。
 全力疾走で揺れて、擦れたせいだろう。
 こんな時にまで、これでもか、と存在をアピールしてくるのが、余計にうとましかった。

 なんで、この成長を、少しだけでも身長に分けてくれなかったのか。
 明日からの中学校生活、背の順で並んで、自分が先頭になる光景が頭をよぎる。
 まここの気分は、一層落ち込んだ。

 行くあてもなく歩いていたまここだが、自分の足が自然と、ある場所に向かっているのに気づいた。
 近所の、橋のかかった小さな川だ。
 後を追って、その理由にも思い当たった。

 多分、とーちゃんなら、こういう時、こう言うんだろう。

 海はいいぞ! 海を見ていたら、小さな悩みなんて吹き飛ぶぞ!

 まここの父は、海のある町で育ったと聞いていた。
 そして、まここの住む町に、海はなかった。なら、かわりに川。
 小学生の頃も、同じように何度か来たことがあった。

 しかし、まここも夜に来たことはなかった。

 橋は、川の流れる窪地をまたぐように架けられていた。
 橋はただのコンクリートの塊で、なんの飾り気もない、道路の一部だ。
 橋の下から遠く聞こえる水音が、そこに橋がある、ということを思い出させる。

 両端と真ん中に1本ずつ街灯が立ってはいるが、他には明かり1つない。
 橋の全体の様相は、夜の闇に沈みこんでいた。

 見慣れたはずの橋とは全く違うものが、そこにあるように思えた。
 得体の知れない巨大な生き物が、昏い巣穴に横たわり、身を震わせているような錯覚。

 普段のまここなら、ここで引き返していただろう。
 しかし、視線は足元を見つめたまま、まここは橋の待つ闇の中へと進んでいた。


 足元から響いてくる水音が、頭の中で反響しているような気がした。

 悪い気分ではなかった。
 頭の中で水が流れていくうちに、さっきまでまここを悩ませていたあれこれも、一緒に流れていくようだった。

 流れに身を任せることは、心地良かった。
 このまま足を進めていれば、どこまでもその流れに乗っていける。

 しかし、ふと首筋に棘のような痛みを感じて、思わずまここは足を止めた。
 
 途端に、強烈な目眩に襲われ、まここは慌てて手を伸ばした。
 かろうじて橋の欄干を掴み、体を支える。くずれそうになる膝は、気合でなんとかこらえた。

 貧血を疑ったが、どうもそういう気配ではない。
 とにかく、目眩から逃れようと、頭を振ってみる。

 それに効果があってかはわからなかったが、次第に目の焦点が合っていく。
 ぼやけた視界に戸惑いながら、目を凝らすまここは、橋に人影があることに気づいた。

 橋の中央に立つ街灯の下に、女がいた。

 乱れた長い黒髪が、うなだれた顔を覆い隠していた。
 白いワンピースから覗いた手足は、枯れ木の枝のようだった。

 ただの、女のようだった。
 しかし、なぜ女の髪も服も、あんなにー

「あなた」

 女の声が、まここの思考を止めた。
 奪った、といった方が正しいかもしれない。
 それほどに、まここの意識は女の声に強く惹きつけられた。 

 女の声は予想外に、柔らかく、美しかった。
 さっきまで聞こえていた、とうとうと流れる水の音に似ているようにさえ思えた。

「悩みがあるのね」

 そう。悩みがあってー

「それで、どうしようもなくなってしまったのね」

 そうだ。どうしようもなくて、苦しくてー

「だから、ここに来たのね」

 そうだった。だから、ここに来たんだー

「ここなら、全てを流してしまえるから」

 そうか。全部流してしまえばー

「わたしも、一緒にいってあげるから」

 一緒に。
 そうか。だから、この人の髪も服も、こんなにー
 
 ーこんなに、川の水で濡れて、張り付いている。

 まここは朦朧とした意識の片隅で、自分の腕を掴む女の手の冷たさを感じた。

 これで、いける。一緒にー

 聞いたことのない、風を切る音。

 心地良い浮遊感が、まここの体を包んでいた。


つづく